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<<   作成日時 : 2006/05/21 09:26   >>

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さまよう刃
内容(「MARC」データベースより)
不良少年たちに蹂躙され死体となった娘の復讐のために、父は仲間の一人を殺害し逃亡する。世間の考えは賛否が大きく分かれ、警察内部でも父親に対する同情論が密かに持ち上げる。はたして犯人を裁く権利は遺族にあるのか?

(ネタバレ・感想)再読3回目

 他人事ではない。明日にでも、この物語の『誰か』になるかもしれない。
 
 その時あなたの『刃』はどこに向けられるだろう?

 これは作者である東野さんのコメントです。

 ニュースから流れてくる退廃的な事件の数々を見るたびに本当に他人事ではなくなってきているのだなと感じます。

 この小説は、様々なことを内包した小説です。
 少年法について
 親の責任について
 警察の存在意義について
 マスコミ、メディアの在り方について
 復讐について

 はたして犯人を裁く権利は遺族にあるのか?
 この問いかけに明快な答えを持っている人など皆無でしょう。

 犯人を裁く権利?
 
 そんな権利が必要なのでしょうか?
 では娘を殺す権利が犯人にはあったのか?
 ノーでしょう。
 犯人は自分の権利の元に彼女を殺害するに至ったわけではない。なんの権利もないままに彼女を殺したのだ。
 その犯人に対してなぜ権利で守らねばならないのか?

 権利などというものは人が生活する上での便宜上の取り決めにしか過ぎない。

 と激情に駆られて書いたとしても事実はやはり何も出来ません。それはやはり自分も当事者ではない言葉しかもっていないからです。

 理不尽と思える法律を理不尽な思いで享受せねばならない世の中って・・・。

 当然結論などはありようもないのですが・・・。

 あるインタビュー記事では、東野さんの思うところを伝えるものがあり、かなり独自の意見も持っておられるようでしたが、本書にはそれと言及できる文章をみつけられませんでした。
 それから考えると、東野さんの求めるところは、やはり我々ひとりひとりに考えてもらいたいということではないでしょうか?

 法は絶対のものではない。人が造り人が守る。だからこそ色々な問題を内包した状態は総ての人それぞれに向けられている。
 ひとつのシュミレートとして用意されたこの小説は、人それぞれに思いの違いはあれど「天空の蜂」になぞらえて‘沈黙する群集’にはなるなと警告している様にも思えます

この小説がいうところのさまよう刃とは、日本人私たち一人一人にとっての心の刃がさまよっていることを指しているのかもしれません・・・。

 この物語の『誰か』になったとき
 
 あなたの刃は、どこへ向けられますか?

 そして、その刃は正しい方向に向けることができますか?

 
 以下に作中で考えこんだ文章を参考までに・・・・・。

 少年法について作中での長嶺の胸中の語り

 「少年法は被害者のためにあるわけでも、犯罪防止のためにあるわけでもない。少年は過ちを犯すという前提のもと、そんな彼等を救済するために存在するのだ。そこには被害者の哀しみや悔しさは反映されておらず、実状を無視した絵空事の道徳観だけがある。」

 「裁判所は犯罪者に制裁など加えない。むしろ裁判所は犯罪者を救うのだ。罪を犯した人間に更生するチャンスを与え、その人間を憎む者たちの目の届かないところに隠してしまう
 そんなものが刑だろうか。しかもその期間はおどろくほどに短い・・・。」
 
 警察の存在意義について警察官であった久塚の独白

 「警察というのは何だろうな」
 「正義の味方か。違うな。法律を犯した人間を捕まえているだけだ。警察は市民を守っているわけじゃない。警察が守ろうとするのは法律のほうだ。法律が傷つけられるのを防ぐために、必死になっている。ではその法律は絶対に正しいものなのか。絶対に正しいものなら、なぜ頻繁に改正が行われる?法律は完璧じゃない。その完璧でないものを守るためなら、警察は何をしてもいいのか。人間の心を踏みにじってもいいのか」

 「我々には何も答えを出せない。我が子を殺された親に対して、法律で決まっていることだから我慢しろなどと、いったい誰がいえるというんだ」
さまよう刃

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さまよう刃/東野圭吾
非の打ち所がない傑作でしょう、これ。 妻の形見でもある娘が蹂躙され殺され、復讐を目論む長峰の怒りや苦悩に感情移入してしまい最後は泣けました。娘と父親という対異性の構図がこれまたやるせない。警察に逮捕されることも承知の上で、復讐に走る長峰。妻が生きていたら.. ...続きを見る
うつわの器
2006/05/26 23:19

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
毎日一冊のペースですね。凄い!^^

私、『さまよう刃』は、未だにしっかりと消化し切れていないのです。
大筋としては理解できるのですが、
例えば、久塚班長の行為に釈然としないものを感じたりとか―。
久塚班長にも、東野さんの色々な思いが投影されていると思うのですが、焦点がピタリと合う像を、未だにイメージできないでいます。

いつも辛口批評の佐野洋さんが、本書を大絶賛しておられますが、
「そ、そうですか?」
「そこまでよくできた作品ですか?」と、
東野圭吾ファンらしからぬ突っ込みを入れたりしています。

>‘沈黙する群集’にはなるなと警告している様にも思えます。
同感です。
「沈黙の群集」になってしまって、
事なかれ主義―、結論を出すのを先送りして肝腎なことから目を背ける自分が透けて見えて来て、
悄然となりました。

でも、何を語るべきかが分からない自分もいます。
う〜ん、困ったものです。^^
眠り猫
URL
2006/05/22 06:23
眠り猫さん、コメントありがとうございます。
おかげで寝不足の毎日ですが読後の変わっていくものもあり、嬉しかったり悲しかったりです。
>久塚班長の行為に釈然としないものを感じたりとか―。
自分はそれほど抵抗はなかったのですが・・・。
単に射殺してしまった警官に対してのアンチテーゼのつもりなのかな・・・と。
人それぞれの解釈だとは思うのですが、
一方では法律を守った警官。一方では人の想いを守った警官。みたいな感じです。
 「想いを守っても本人が死んだら何にもならん」といわれそうですがね・・・。
 また再読すると思いますが、終わりなき日々ですね。
カイ
URL
2006/05/22 17:50
カイさん、今晩は。

久塚班長は、長峰の復讐をバックアップして来ましたよね。
ところが肝腎なところで、あの捜査指揮だから、何で?と思ったのです。
「私」の久塚班長と、「公」の久塚班長の対応が違っても、全然不思議はないのですが…。
復讐を成功させてやりたいと願うがばかりの、我がままな捉え方なのかもしれませんね。(笑)

再読によって、読後感が変わるケースが少なくありませんね。
一冊の本を深く味わう、というだけでなく、自分の変化・変遷も見て取れて、そこが楽しかったりもします。^^
眠り猫
URL
2006/05/23 18:20

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